ニューヨーク・タイムズ「今年、行くべき旅行先 第三位に山口市」

NHK の記事の抜粋です。

【アメリカのニューヨーク・タイムズが、世界の旅行先で「2024年に行くべき52か所」を発表し、日本から山口市が選ばれました。「西の京都とも呼ばれ、過度な観光客に悩まされることが少ないコンパクトな都市」と紹介され、海外から注目が高まることが期待されます。】

なぜ田舎の山口市が選ばれたか?1つは、大内氏まで遡る歴史の古さでしょうね。2つ目は、あまり開発の手が入らず、古い町並みを残しているからでしょうか。

ということでウルカGGも行ってみることにしました。

実際のところ、ニューヨーク・タイムズは関係なしで、我が娘が1月に転勤で、ここに飛ばされ、暮らしぶりが気になるので行ってみただけです。

娘の生活する場所・会社を確認して、市内を徘徊することにしました。

実はこの町、ウルカ青年が学生時代にお世話になった町でもあります。とても懐かしさを感じます。

東京さー、出てみたかったけど、こちらの方が断然お安いので、田舎暮らしを選択しました。遊ぶところなし、下宿で飲むか、麻雀するかぐらいでしたね。

山口の方言を紹介します。
やまぐち とは言いません。やーまぐち です。
店にはいると、いらっしゃいませ とは言いません。いらっしゃいました です。
過去形ですね。
井戸端会議では、Aそれかね Bそれーね  相槌を打っているんでしょうが、AB二人の会話のそれって同じものを指しているんでしょうか? いつも疑問に思っていました。

山口市の観光の定番を写真で紹介します。



瑠璃光寺(五重塔)
何と不運なことに現在改修中(~2026.3予定)です。当分見れませんね。
改修の主な内容は、檜皮葺のやりかえだそうです。1万円寄付すると檜皮に名前・願い事を書いてもらえるそうです。ちょっと高いか―

背景の山が東鳳翩山(ひがしほうべんざん)
この東側山麓に
萩往還 があるはず。私歩いていません(^^) 大変ですから。
幕末の有名人が通ったでしょうね。
ガイドさんのお話によると、山との位置関係で真直ぐにたっているように見せるために、少し傾けているという事でした。見学に来た建築家が気づいたとおっしゃっていました。初耳です。

在りし日の五重塔               現在 













雪舟庭
親子3人で室内に座り、庭を眺めることができました。京都ではこうはいかないでしょうね。

一の坂川


一の坂川(春は桜、初夏はゲンジボタル)室町時代大内氏が一の坂川を京の鴨川に見立てて街割りをしたといわれており、山口が西の京といわれる所以となっている。左岸の竪小路エリアには現在も当時の町並みが多く残る。】

一の坂は萩往還 の1番きつい坂だそうです。もう少しで美しい桜並木になります。

【萩往還 (はぎおうかん)は、 江戸時代 に整備された 街道 の一つ。 城下町 の萩→山口市→三田尻 (防府市 中関 )】
昔は陸路ではなく、海路が重要だったんでしょうね。


サビエル記念聖堂(ザではなくサが正式
私が卒業した後、火災に遭って建て替えられています。とても近代的な雰囲気になっています。共通点は2本の塔がある所ですね。






湯田温泉
昔、蒲団敷きのアルバイトでお世話になりました。今回も大浴場に入らせていただきました。極楽極楽

中国からの団体旅行客が多かったです。土産物売り場のおばさんにおススメを訊いてみると、発音から、中国の人かなと思いました。

足湯とドリンクの店がありました。居酒屋さんには、松陰さんの有名な、お言葉がバーンと貼ってありました。私には「夢なきものは、ボケるぞ」と言われている気がしました。理想を追い求め、わが身を顧みず、突き進む人でしたね。この人とナワリヌイ氏は似ていませんかね。おとこだねえ(激しい反面、弟子それぞれの長所を見抜き育てる所は、すごい教育者ですね。)




観光客にとっては、まったくもって関係が無い所ですが、ウルカGGが最もお世話になった場所ということで立ち寄らないわけにいかない学校へ裏門から侵入・・・正門には警備員さんがいたので、めんどくさかった。怪しいものではありません。気が向いたら寄付もしています。昔は買い物かごを持ったおばさんが構内を突っ切っていました。地元の方々から土地の提供があったとか言う事です

 山口大

「映画 ウルカ青年物語(嘘つき物語)」の聖地巡礼をやってみました。(しまった道を1本間違えていた。)この環境(校舎・モクレン・梅・芝生)でウルカ青年は育ててもらいました。昔と同じように爽やかな風が吹き抜けていきます。まあ、50年ほどタイムスリップして青年に戻ったような気分です。(写真を見ると玉手箱を開けてしまった浦島太郎状態ですね。恐ろしいことに半世紀ですよ。時間とは不思議なものですね。昔の人は「光陰矢の如し」とはうまいこと言いましたね。なぜ時間の矢は過去から未来へ進むのか?早くだれか解明してくれー ひょっとしたら若返るかもしれん。

160年ほどタイムスリップすると、幕長戦争(1864~1866)になります。160年と言っても50年のたった3倍ですね。(長く生きていると時間のスケールが大きくなります。)
山口明倫館(亀山公園辺り)では、士官の訓練が行われていたそうです。【萩明倫館の卒業生である上田鳳陽さんがつくった私立の学校が、
藩庁を山口市に移したとき(1863年)藩校になりました。ということで明倫館は2つありました。】

亀山公園山頂広場 パノラマ写真



幕長戦争では、高杉晋作そして奇兵隊が活躍しましたね。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に彼の辞世の句が紹介されていました。

「面白き、こともなき世を、おもしろく」
辞世の上の句をよんだ。下の句に苦吟していると、看病していた野村望東尼が、
住みなすものは心なりけり」
と詠んだ。高杉はうなずき、
・・・面白いのう。
と言って静かに眠った。それが高杉の最期であった。

ウーン 幕府方の小倉城を炎上に追い込んだり、料亭でどんちゃん騒ぎするのが好きだったり、結構面白くやっていたような・・・俺はやったぜと思っていたかも?
下の句は宗教家らしいですね。

下関戦争(1863年1864年)もありましたね。外国の艦船から砲撃をうけています。先にぶっ放したのは長州藩です。

激動の時代には、領地の中心、そして海岸ではない山口市が都合が良かったんでしょうね。また歴史の表舞台に戻ってきたわけです。


たわごと

コンパの席で鳳陽寮生活経験者の先輩が、鳳陽寮の窓の下には草が生えないんだ。なぜだか分かるか?
ウルカ青年 ウーン  分かりません。
それはだな寮生が窓から放尿するからだハッ
ハーハー・・・と教えてくれました。

他に何か伝えることは無かったんかねー

鳳陽さんには申し訳ないです。
鳳陽寮からのバンカラな風習、いや奇習(かなりレベルはダウンしたようです。)であるストームは、鉄筋4階建の吉田寮にも受け継がれ、一升瓶のラッパ飲み&大声の挨拶・・・
ストーム~ 
また怒鳴り込んできたよ。しかたない。お相手するか・・・という感じでしたね。まあタダでお酒を頂けましたが。このストームというのは、全国的なものみたいですね。

帰り道、錦帯橋に寄って腹ごしらえをしました。いつ見ても美しい曲線です。


せっかく山口まで来られるなら、次に広島に立ち寄られてはと思います。厳島神社;平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられた。という事はよく知られていると思いますが、宮島では、大内家を乗っ取った陶晴賢と毛利家の戦い(厳島の戦い1555年)が行われた場所でもあります。知略・奇襲そして村上水軍を味方につけた毛利軍が大勝して版図を広げていきました。

さあ、あなたは今年山口市に行かれますか?

今回はヨットいじりから大幅にずれてしまいました。 <(_ _)>

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