さくら と 検診

 4月のある日、近くの桜を見に行きました。ちょうど満開の時期でしたが風が強く、花びらが舞っていました。

TVで紹介していた茨木のり子さんの詩「さくら」がちょっと気になりました。
ウルカGGは、女性の感性が分からず、殆ど女性の書いた本を手にしません。そんなこんなで、妻にはよくおこられます。

さくら

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と


藤原正彦(数学者+随筆家)さんは・・・

威風堂々の中で、この詩を日本人の心に響く無常観・美意識と捉え、そして天災の贈り物と記されております。イギリスばかりか、ドイツ、フランス、北欧にも地震はほとんどない。日本の風土とは、随分違うと書いています。
you は桜をどう見ているのでしょう?


詩心の無いウルカGGは・・・

常態とは、途切れることのない時間の流れの中で、あたりまえに存在することを指すのでしょうね。
そして、生はいとしき蜃気楼・・・まあ私の場合は、さほど詩的な世界に生きていないので、日々の生活の中で繰り広げられる喜劇や悲劇になるのでしょうか。
先日、胃と大腸検査に行ってきました。まさに悲劇的喜劇です。

麻酔を受けると目覚めるまで、スコーンと意識が飛んでしまいます。夢なんてみていません。(見ている人いますか?)意識とは、活動する脳に依存するからでしょうね。

死という常態にはいると、スコーンと無になるんですかね。
あるいは時間から解放され、別次元へ飛んでいくのでしょうか?(ループはもういいような気がします。)

くだらぬことを書いていますが、一応診断は異常なしで解放されました。
あー苦しかった!



コメント

このブログの人気の投稿

Y26C 水漏れ ボルボ ラバーパッキンボックスに変更 シャフトとマウントも交換   

なんちゃってブームブレーキ

スターンのアンカー部品の配置