いなか(倉橋島)に帰る
先日、墓参りのあと桂濱神社に行きました。
海からたどると、こんな感じになります。
子どもの頃ここでバシャバシャ泳いだものです。昔、大型船はこの沖を航行したそうです。
小型船は、音戸の瀬戸を通過したそうです。
昔、音戸の瀬戸はどんな水路(幅・深さ)だったんでしょうね?
この瀬戸の開削の歴史は古く、今からおよそ800余年前、平清盛が3ヶ月を費やして航路を開削したとも伝えられています。
本瀬戸の潮流は速く、そのうえ所々浅瀬・岩礁があり、戦後船舶の大型化と相まって海難事故が数多く発生してきました。そのため国土交通省では1951年度から水深5m、幅60mの本航路及びその両側に水深3mの補助航路の拡張整備を行い、1957年度に完成しました。現在の音戸の瀬戸は、近代になって整備された。(国土交通省)
一番奥にあるこの本殿は、1480年(戦国時代になりますか)に、倉橋・多賀谷氏(海賊衆・大内方)が再興したそうです。
546年物ですね。
なお、この多賀谷氏は1555年小早川氏に降伏したそうです。
石の囲い(玉垣)は古く風化して読みにくかったのですが、母方の爺様の姓(浅××)を6本ほど確認しました。今では全国推定50人ほどの絶滅危惧姓になっています。
ご先祖はいつからここにいたんじゃろう。
40年以前の爺様との会話は、どうでもいいような内容だった。(今年は良い形の桃ができたとか・・・)年をとると、ルーツに関心が行くのは私だけでしょうか?長く生きていると、時間の物指しの目盛り(1目盛り10年)が荒くなり、昔のことを身近に感じるような気がします。
倉橋町史によると(浅××)は、宮島の管弦祭の御座船造船に一枚かんでいたとか。祭りの後は、縁起がいいと買ってもらえたそうです。
頼もしいことです。
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